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 中国訪問記-III
はじめに
 今回は、中国東北部の最大都市、瀋陽の訪問記です。

 瀋陽は、清王朝発祥の地であり、以前は奉天と呼ばれていました。現在は、遼寧省の省都です。瀋陽は地理的に北朝鮮とも近いため、朝鮮族の人々も多数住んでおられます。街中には、北朝鮮直営のレストランやホテルも存在します。

 瀋陽の英語表記はShenYangであり、中国語ではシェンヤンです。中国本土では中国革命以降、簡体漢字が用いられています。このため、瀋陽は中国語では沈陽と表記されます。しかし、これはおかしいですよね。本来の瀋陽という漢字は、瀋川のほとりに出来た町だから瀋陽なのであり、決して「太"陽"が"沈"む」土地、という意味ではありません。
瀋陽でPCIを積極的に行っている病院は3つあります。それは中国医科大学第一病院、遼寧省人民医院そして今回訪れた瀋陽軍区総病院(Military General Hospital of ShenYang District)です[下写真]

瀋陽軍区総病院
瀋陽軍区総病院
(Military General Hospital of ShenYang District)
 私は、2003年12月5日朝の羽田9:05発関西空港行きの便で関西空港に飛び、そこで13:10発の中国南方航空瀋陽直行便を待ちました。しかし、飛行機はなかなか飛び立たず、最終的に関西空港を出発したのは16:00頃になっていました。瀋陽には関西空港から2時間30分、従って本当は日中間の時差も考慮すれば14:40には瀋陽空港に到着する筈でした。しかし、出発は遅れ、また「もうそろそろ到着するかな」と思っていた頃に、突然の機内アナウンス。「この飛行機は瀋陽空港大雪のために着陸できません。従いましてこれから長春空港に着陸することになりました」。長春(ChangChun: チャンチュン)は吉林省の省都で、人口650万人程度の中国なの中では中規模の都市です。開発のために積極的に外国資本の導入を図っていますので、周辺部には日本の会社の工場も存在するそうです。実は、旧日本軍が主体であった関東軍によって設立された満州国の首都、「新京」はこの長春に存在しました。従って、現在でも当時の満州国か建設した立派な建造物が存在する、ということです。もともとの名前は長春であったということですが、残念ながらこのロマンチックな名前の由来までは知ることができませんでした。

長春空港にて
長春空港にて
長春空港にて
 長春空港に到着したのは現地時刻6:00pm頃でしたが。もともとこの空港は国際空港ではありません。従って、手続きにも時間がかかり、小一時間の後で上陸することになりました。そこで、やはり関西空港から同じ飛行機で来られた上田先生とご一緒になりました。日本から来られた日本人観光客の一団はガイドさんにひきつられ、そのまま瀋陽まで5時間かけて汽車で移動する、ということで消えてしまいました。また、中国人の方々は航空会社が用意した近くのホテルに移動していってしまいました。私は持参していたGSM携帯電話により各所と連絡を取り、これから先どのようにするのが最も良いかを現地のサポーターの方々と検討し、その結果、長春市内のホテルに移動してそこでとりあえず夕食をとり、いざとなればそのホテルに泊まり、翌日何らかの手段で瀋陽に移動するのがベストである、との結論に達しました。そのような訳で我々は二人で真っ暗になった空港でじっと現地で我々をサポートして下さる方々をじっと待ちました。空港は我々二人だけとなり、明かりもほとんど消されてしまい、寂しく待ちました[右上写真]

 その後、幸にも二人の現地駐在の方々と落ち合うことが出来、長春市内のレストランにおいて食事をとりました。その食事の最中に中国の方に空港内の航空会社事務所に連絡を入れて頂いたところ、我々が乗ってきた飛行機が9:00pm頃に瀋陽に向けて飛び立つ可能性が高いことが判明しました。本来瀋陽と長春の間は200Kmも無いために直行便は無く、通常移動するとすれば汽車あるいは自動車での移動になります。あるいは、いったん北京に戻って飛行機を乗り継がねばなりません。従って、この我々が搭乗してきた"国際便"を逃すと、翌日も大変な苦労をせねばなりません。そのため我々は急遽、長春空港に戻ることに決めました。長春空港で再び小一時間待つことになりましたが、結局その日のうちに最終目的地瀋陽に到着することができました。それでもホテルにチェック・インしたのはもう午前零時を大きく回っていました。

 何れにしても我々は国際便であったために、瀋陽空港当局も我々の飛行機を最優先で着陸させました[上写真]。国内線は当然の事ながらその日は全てキャンセルされたのです。何人かの先生が当初、上海や北京からこの学会に国内Facultyとして招待されていましたが、この結果、これらの先生方は学会に参加することができませんでした。

7th International Cardiology Training Course
ハン先生
ハン先生
 今回の学会は、第七回国際心臓病トレーニング・コースというものでした。"国際"といっても外国の先生方は、私、そして他に日本から京都武田病院の上田欽造先生、韓国水原(Swon)にある亜州(Ajou)医科大学のSeung-Jae Tahk先生、そしてドイツよりNicolaus Reifart先生の四人のみでした。瀋陽軍病院は中国各地に存在する人民解放軍所属病院の中でも最大規模の病院であります。現在の年間PCI症例数は1,000件、年間CABG件数は200例程度だそうです。またこの病院のInterventional Cardiologyおよび循環器内科のトップであられるハン先生 (Han YanLing: 韓 雅玲[右写真])は、人民解放軍の中で唯一女性でありながら将軍となっている医官であります。そんな訳でこの病院においてこのような学会が催される時には、中国全土の人民解放軍病院より医師およびコメディカルが集まります。従って、今回の学会も多数の(多分600人以上)の方々が集まりました。

 なお、これらの軍病院は人民解放軍というどちらかといえば陸軍主体の軍組織の病院であり、これらとは別に各地に空軍病院というのも存在します。一方、海軍病院があるという話は聞いたことがありません。ちなみに人民解放軍は全中国に四つの軍医大学を有し、この中の第四軍医大学は西安に存在します。現在では第四軍医大学出身者がその他の軍医大学の教授を占めているそうです。ちなみにハン先生を指導されたのは第四軍医大学付属西京病院で教授をされているジャア・グオレン(買 国良)先生でした。この先生と私は長年の友人であり、一緒に各地の病院を回ったこともあります。ちなみにこのジャア先生が中国で初めてPCIを行われた先生だということです。

 学会は広大な病院の敷地の中にある立派な講堂で開催されました[左下写真]
 
軍病院内の講堂
瀋陽軍病院内の講堂

手技の様子
手技の様子

 学会では、まず私たち外国からのFacultyがそれぞれの講義を行いました。私は今回、Han先生よりの依頼で経橈骨動脈冠動脈インターベンション(TRI)についての総論を講演しました。今回の講演は、前回10月のCIT meetingにおいて北京で行ったものを流用しました。中国の先生方の講演の中で印象深かったものとしては、現在中国、特に軍病院においては、壊死した心筋への骨髄幹細胞移植を行い、心筋を再生させる実験的治療が積極的に試みられている、ということでした。既に中国全土で70例近くの患者さんに対して行われたそうです。そして、このプロジェクトを主導しているのが名前は書き留められませんでしたが、まだ30歳半ばと思われる若い女の先生でした。Han先生のお話によれば彼女は米国に数年間留学し、このようなプロジェクトにおいて必須の基幹技術である遺伝子操作や幹細胞培養などを学んでから帰国したそうです。中国には社会のあらゆる分野でこのように米国に留学し、最新の科学的知識と技術を身につけ、それから再び中国に帰国して最先端の研究を中国国内で主導されている若い人々が今たくさん存在します。

 私自身は講演の後、別の棟にあるカテ室に赴き、二例のTRIを行いました[左写真]。私の症例は再びCTOでしたが、それほど困難なものではなく難なく行うことが可能でした。

 そして私の後には上田先生、そしてReifart先生がそれぞれ二例ずつPCIを行われました。Tahk先生は、前日の朝の便でソウルから入られていたために、前日に既に症例を行われていました。私が手技を行っている間にHan先生は、瀋陽で最初の症例である幹細胞移植を別の心カテ室で行われていました。

 幹細胞移植といえば、とても難しい手技のように思われますが、実際にカテ室で行うことは、オーバー・ザ・ワイヤーのバルーンを壊死した心筋を潅流する冠動脈の近位部で2分間拡張し、その間にガイドワイヤー・ルーメンから培養した幹細胞の懸濁液をゆっくりと注入し、この操作を三回繰り返すだけです。

 念のため申し添えますと、この方法の有効性については未だ立証されていません。
午後からは、それらの症例のCDを会議場に持ち寄り、皆でその手技の詳細についてディスカッションを行いました。

 その日の夕食は主だった先生方だけで豪華な夕食を皆で頂きました[左下写真]。何でも、「満漢なんとか」、とかいう全部で100皿も料理が出てくるものでした。とても食べ切れません。

短い中国訪問からの帰国
 瀋陽は北朝鮮に最も近い大都市です。従って、瀋陽市内には北朝鮮政府直営のホテルやレストランが存在します。また朝鮮民族の人々も多く住むとともに、歴史的経緯から日本語を話す方々も多く存在します。最近では韓国との経済的結びつきも大きいため、瀋陽-ソウル間には毎日数便の飛行機が飛んでいます。残念ながら瀋陽-成田間には直行便はありません。このため、12月7日日曜日の帰国は、9:00am発のソウル-仁川行き中国南方航空、そして仁川でANA成田行きの便に乗り換えました。成田に到着したのは14:55でした。瀋陽空港はこの日も雪で覆われていましたが、飛行機は問題なく離陸することができました[右下写真]。今回は行きに大変なトラブルに会いましたが、上田先生とご一緒させて頂いたお陰で、何とかのりきることができました。上田先生、ありがとうございます。

夕食会
皆さんとの夕食
瀋陽空港
帰りの瀋陽空港
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